L’impudica Suzanne

Corrado AugiasのI segreti di Parigiの第3章”L’impudica Suzanne”を読みました。訳すと「節操のないシュザンヌ」です。この章はモンマルトルを舞台に、画家のユトリロとその母シュザンヌについての話でした。日本語とイタリア語で要約を試みたのですが、本自体が内容盛りだくさんで大変でした。ネットでユトリロのことを調べると、ここで書いてあることとは違うこともたくさん見つかりました。Augias版のユトリロの話として読んでください。今日は日本語の要約を載せます。




【日本語要約】
モンマルトルは多くの芸術家が暮らした界隈として有名ですが、そうなったのは19世紀末からのこと。それ以前はパリ中心部からはずれ、ブドウ畑や粉をひく風車(イタリア語でムリーノ。ムーラン・ルージュのムーランはムリーノのことだったんだ、と今回知りました)などのあるのどかな所でした。この章の主人公であるユトリロ親子が暮らし、今はモンマルトル美術館になっている建物はコルト通り12番地にあります。

幼い頃母親とともにモンマルトルにやってきたシュザンヌ。貧しかった彼女は9歳から仕立て屋をはじめ花屋、パン屋の売り子など様々な仕事をしましたが、おとなしくしている仕事は彼女に向いていませんでした。その後、サーカスの曲馬師になり、セミヌードになって馬を操り観客の視線を集めることに夢中になりました。この頃絵を描き始め、最初に描いたのが馬、犬、猫や花でした。

人懐っこく豊満で男性受けする彼女は、落馬で怪我をしサーカスで働けなくなると、画家のモデルをするようになり、そしてルノワール、ドガ、ロートレックなど多くの画家と関係を持つようになりました。最初にこの本で登場する画家ピュビ・ド・シャバンヌは、シュザンヌに食事の仕方、会話の仕方、振舞い方などを教え込みました。またドガは彼女の絵描きとしての才能も高く評価していたようです。

シュザンヌ17歳の時に、息子モーリス(ユトリロ)が生まれます。彼女は息子を自分の母親に任せっきりで、この母親もまたアルコール中毒気味でした。哺乳瓶の中にはミルクよりもワインが入っていることが多く、モーリスは喋ることよりも先にアル中になってしまいました。

彼の父親が誰かということはシュザンヌ自身もわからず、何人もの父親候補がいました。モーリス8歳の時のある日の酒場で「父親はルノワールかピュビのどちらかじゃないか?」と話題になった時、スペイン人の学生ミゲール・ユトリロが「名だたる画家たちの作品の一つ(=モーリスのこと)に自分の名前をサインできるのは名誉なことだ」と宣言し父親に名乗りをあげました。

ユトリロは幼い頃から精神を患い、そのため少なくとも3度は治療施設に入っています。絵をはじめたのは19歳の頃で、治療目的で医師から勧められたからでした。シュザンヌは母親らしいことは何一つしませんでしたが、絵の先生としては息子に厳しく接し、次第にユトリロにとって描くことはお酒を忘れ、自分を癒すことができるものになっていきました。

第一次世界大戦の頃、シュザンヌは息子の友人であり画家志望だったアンドレ・ウッテルと結婚をし、奇妙な三人での生活がはじまります。三人で作品展を行いますが、ユトリロは再び精神を病んで入院してしまいました。42歳のとき、ユトリロは7歳年上の未亡人と結婚しました。彼女はユトリロに洗礼、堅信式を受けさせ、教会で結婚式をあげます。それからユトリロはお酒を一切飲まず、教会に通い、お酒との付き合いは自ら描くビストロの絵に「Vins」と書き込むだけだったそうです。

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